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今は緑濃い愛岐トンネル群の山々ですが、昔はどうだったのでしょうか。
1900年(明治33年)に名古屋・多治見間が開通してから大正時代にいたるまで、周囲の山々はハゲ山だったそうです。陶磁器を焼く燃料にするためや工事による伐採、盗伐などにより樹木が切られたため、ハゲ山になったのです。
そして1966年(昭和41年)、高蔵寺・多治見駅間の旧線は廃線となりました。その後2007年までの41年間で多くの樹木や草花が
たくましく育ち、廃線跡はいつしか藪の中に埋もれてしまったのでした。
2007年(平成19年) 、当会の前身である市民グループが愛岐トンネル群の調査を始めました。当初、廃線路は2mを超えるササや
イタドリが廃線敷きを埋め尽くしていました。さらにクズ、ノイバラなどのつる性植物が複雑にからみ、落ち葉や枯れ枝がそれらに覆いかぶさって、
一歩たりと足を踏み入れることさえ困難な状態でした。
ササやツルなどを刈りとり、廃線路の整備を進めながら、私たちは動・植物の種名調査、保存する植生の保護、名札表示 などを行なって
きました。40年間以上放置され荒れ放題の廃線跡は、人の手による適度な介入により多くの植生がよみがえり、年毎に豊かさを増してきたと言えます。
当会は廃線上の草木を極力“切らない”“抜かない”を原則として、自然に還った廃線との共存を目指しています。
観光遊園地を造るのではなく、”歩きにくい”“見栄えが悪い”からこそ、忘れられていたこの産業遺産が自然の中に蘇る意義があるのではないか
・・・。つまり「近代化産業遺産と自然との共生!」です。この姿勢はきっと、子供たちの「心の教育・環境教育」にも役立つと考えます。
本会の「第一次樹木調査」(3号~6号トンネル間)によると、半世紀の間に廃線上には50種600本を超える樹木が逞しく自生し、希少種も
多く見られます。このような廃線・トンネル群と自然の樹木が渾然となって共存している環境は全国でも稀有といえそうです。また、廃線上の笹など
うっそうとしたヤブが整理された跡地には太陽の陽が届き、草花が息を吹き返しています。
表は、廃線路上に自生していた樹木621本の調査結果をまとめたものです。樹木本数621本、種名付本数605本、種名不明16本、種別数
50種でした。
4号トンネル多治見口の大モミジ(三四五の大モミジ)以外にも名木があります。6号トンネル春日井口から玉野古道ルートを50mほど歩くと、エノキの
巨木がそびえています。私たちは敬愛の心を込めて「山オヤジ」と呼んで大事にしています。分厚い板根が見事です(上記写真をご覧ください)。
その先には「三位一体の樹」があります。エノキ、クマノミズキ、イヌシデの3種類の木が互いに寄り添い、珍しい「三位一体」状態で自生しています。
さらに川側に下ると、白樫(シラカシ)の大木が岩の間から生えている「石割りの樫」もあります。6号トンネル周辺には珍木が多く見られます。
春と秋の見学の際には 玉野古道ルートを歩いて、ぜひこれらの樹木に会いに来てください。
愛岐トンネル群で確認された草花類は160種ほどです。スルガテンナンショウ、ホウチャクソウ、ヤブミョウガ、イラクサなど日陰に強い種が広く分布しています。 調査・整備の際にササやクズ、アレチウリなどを除去していますので、地表に太陽光が適度に差し込むようになりました。その効果で、ニホンタンポポ、ムラサキケマン、 スミレの仲間、ササユリ、シュンラン、キンラン、ヤマホオズキ、ハダカホオズキ、メハジキ、ツルニンジンなど、かつてはこの地に自生していたと思われる草花類も 多く見られるようになりました。