愛岐トンネル群ものがたり
「産業遺産の廃線とトンネル群 ただ今、再生中!」
この読み物は、「月刊 文化財」(文化庁文化財部監修)に掲載された当委員会の 村上真善事務局長の原稿を再録したものです。
はじめに
ひょんなきっかけで、大層なものを見つけてしまった。名古屋から地元の春日井市を通り、長野・塩尻へつながる旧国鉄中央線の線路跡と煉瓦製
トンネル13基である。
明治期に造られ、新たなルート開設により廃線となったものが、その当時の姿のまま、タイムスリップにあったように鎮座する。発見したときはびっくりするやら
首をひねるやら。 なぜこれはどの施設が忘れ去られ、放置されていたのか。いやはや、もったいない!
1 愛岐トンネル群について
名古屋から長野・塩尻を通り、東京に至る中央線は、塩尻以東を中央東線、以西を中央西線と呼ぶ。中央西線の名古屋-岐阜・多治見聞 は、旧逓信省鉄道作業局によって明治33(1900)年に開通された。このとき、現在の日本三大ニュータウンの一つとされる春日井市・高蔵寺ニュータウン 直近の裏山中腹を貫き、全国でも珍しい14基(うち1基はその後撤去)ものトンネルが掘られた。明治期の煉瓦製トンネル群としては、最多である。
この旧中央西線によって、岐阜・長野の豊かな森林資源や陶磁器窯土などが、蒸気機関車で名古屋へ運ばれ、「ものづくり中部」の製造産業の基盤が 形づくられることになった。その後、昭和41年、複線電化により新ルートが開通すると、春日井・高蔵寺-多治見間の山と川に挟まれ曲がりくねった8キロ メートル余の鉄路とトンネル群は役割を終え、いつしか人々の記憶から消え、薮の中に放置されてしまった。
2 運命の一言
トンネル発見に至る全ての始まりは、平成17年に開始された春日井市内のJR勝川駅高架化改修工事にあった。この駅には、明治期の鉄道開業以来の赤煉瓦土台のプラットホームが残っていた。しかし、駅舎とともに、この土台も撤去されることになったため、廃棄される運命にある百年前の赤煉瓦を駅前再開発のモニュメントとして再利用する「市民赤レンガ剥ぎ取り隊」という町おこしイベントが開催された。 そのさなか、ある古老から「そんなに大切な煉瓦なら、多分市内に煉瓦のトンネルも残っているはずだよ」という一言。この一言が、忘れ去られていた 「愛岐トンネル群」との運命の出会いをもたらした。
3 ヤブ漕ぎ、前進、ついに発見
半年間市内を駆けずり回り、やっと、崖の上の廃線跡らしき藪の中にトンネルを見つけ、平成19年に、市民有志による「旧国鉄トンネル群保存 再生委員会」として活動をスタート。平成21年に、組織を「NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会」に改め、現在は60余名の会員で活動を展開している。
活動の第一歩は、愛知県側の3号から6号までの4基のトンネルと、その間の廃線敷の発掘という探検もどきの活動。半世紀近く放置された1.7 キロメートルの廃線跡には、直径30センチメートルを超える樹木が育ち、獣道もなく、鬱蒼とした藪に遮られ、足を踏み出すスペースもない、5人がかりで 1日5メートルも進めないほどの密林状態の中を、ただただがむしゃらにヤブ漕ぎで前進する日々の連続。昔、冒険ドラマではやった少年探偵団ならぬ 「これは中高年探偵団だ」の声が聞こえるほど。
4 発見された遺産への反響
1年かけ、愛知県側の線路敷を、とりあえず人が歩けるほどに開拓。平成20年春に「再生現場見学会」を開催してみた。フタをあけてみると、
定員100人のところ、なんと300人が訪れるほどの大人気。気をよくして、その後は毎年春と秋の2回、計10日間程度の特別公開を実施している。
あれよあれよという間に活動8年目にあたる平成27年には、全国20都府県や、遠くは海外から、年間3万人もの来場者が押し寄せた。
期間中、無人の最寄り駅のプラットホームから人があふれ落ちんばかりになり、JRが快速電車まで停めて20余人の駅員が来場者対応を図らねばならないほどだった。8年間で16回、計78日間の特別公開に、延ベ14万人余が来場し、小さな地域の小さな市民活動が一躍脚光を浴びた。
「埋もれていた産業遺産」への関心は、がぜん高まっている。
春・秋の公開時には、レンガ広場の
ステージで青空コンサートが開かれる。
(ステージの床は110年前の建設時に壊れて放置された煉瓦を敷き詰めた労作)
5 眠れる遺産に芽生えた魅力
平成24年には、文化庁の「NPO等による文化財建造物の管理活用事業」を受託し、それに呼応して地元の春日井市観光コンベンション協会が市内最重要観光拠点に指定するなど官民協働体制が前進し始めた。
廃線跡はレールや枕木もなく、往年の鉄路を思い描ける物証は、赤煉瓦のトンネルと敷かれた砕石(バラスト)のみである。しかし、発見までの
43年間に、レッドリストに掲載される貴重な草木を含む220種もの樹木や草花が茂り、放置された線路敷は植生豊かな空間となった。
また、河川沿いには、水を好む樹木であるモミジが群れで自生する。現在の1.7キロメートルの廃線再生地だけでも、200本を越えるモミジが育ち、
周辺の斜面には更に多くのモミジが見られ、極めつけは、愛知県下最大級のモミジの巨木が息づく。これらのモミジにより、秋にはトンネル脇に紅葉で
染まる別世界が広がる。今や、この廃線跡は、「隠れたモミジの名所」として囗コミで広がり、「ネイチャーロード」と見まがうほどの評判を得て、多くの
ファンを獲得している。 【続く】