祝! JR中央本線大曽根駅 開業110周年 (2021年3月10日UP)
大曽根駅は、ご存じのとおり?名古屋のターミナル駅のひとつです。
JR中央線、名鉄、市営地下鉄、市バス、ガイド
ウェイバスなどが乗り入れており、朝晩は乗降客でにぎわいます。当サイトの読者さんで利用されている方も多いかもしれませんね。
さて、そのうちのJR大曽根駅が2021年(令和3年)4月9日で開業110周年を迎えます。
中央線名古屋駅~多治見駅間の開業が1900年(明治33年)7月。大曽根駅は中央線開業時には無くて、11年後の1911年(明治44年)4月9日に開業しました。
この開業110周年に合わせて、現在、JR東海さんが大曽根駅と千種駅でPRをしています。
どんなPRか?
画像でご紹介しましょう。JR千種駅の改札にあるモニター装置の画像と、JR大曽根駅の通路に貼ってあるポスターを当会
会員が3月上旬に撮影したものです。(※画像クリックで、拡大・連続表示できます)
特筆すべきは、大曽根駅の空襲による殉職職員の慰霊碑が紹介されていることです。詳しくは5番目の画像を参照ください。
●まず千種駅のモニター装置に表示された画像 5点を紹介します
昭和50年代の大曽根駅北口。右は現在の大曽根駅北口
381系電車特急「しなの」昭和50年代。右は特急乗車券
167系電車、急行「ちくま」。右は12系客車、急行「ちくま」
昭和20年4月の米軍による空襲で殉職した旧国鉄大曽根駅職員30名の方の慰霊碑です。
この慰霊碑は、空襲の翌年の昭和21年8月に建立されたもので、大曽根駅南口の近くに建っています。
昭和20年(1945年)4月7日、大曽根駅東にある三菱発動機の工場等への空襲により大曽根駅は全壊し、駅員 37名中30名が殉職されました。爆撃直前に駅には乗客100人ほどがいましたが、爆撃を避けるため駅員が列車を 勝川にむけて出発させたため、全員無事でした。
なお、死亡した駅員30人は、空襲警報で避難していた防空壕にB29からの爆弾が直撃し、中にいた男性18人、女性12人、 合わせて30人全員が死亡したといいます。 なんと悲惨な話・・・。
余談ですが、中央線多治見駅や小泉駅(太多線)でも米軍による爆撃(機銃掃射)があり、死者が出ました。 急降下しての機銃掃射でパイロットの顔が見えるほどだったといいますから、ひどいものです。 多治見市では、今でも戦争による 民間人の被害を語り継ぐ活動が行われていると聞きます。余談失礼しました。【大曽根空襲】 【多治見空襲】などで検索すると関連情報が出てきます。
●以下の5点の画像は、大曽根駅通路に掲示されていたポスターのものです。
明治44年開業当時の建物
大曽根商店街の賑わい
大正3年駅舎本屋改築
大正14年 名古屋鉄道(瀬戸線)軌道配置図
昭和56年ごろの様子